エチオピアの風
が、吹かなかった!
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先日の展示でお世話になった
吉祥寺のモノギャラリーのオーナーさんが
何度か美味しい珈琲を出してくださった。
必ず、沖縄の黒砂糖を添えて。(※写真左)
珈琲と一緒にいただくとものすごく美味しかった。
私はブラックが飲めないはずなのに、
ミルクを入れずにごくごく飲んでしまった。
感激して、そのコトを話すと
あなたは珈琲道をステップアップしましたね。って。
次は、銘柄にこだわりはじめるでしょう。
そして、次は、国にこだわりはじめるでしょう。
そして、最後は、私のように、この珈琲を飲む度に
「ああ、エチオピアの風が吹いてきた。」
と言ってしまうのですって!
昨日、喫茶店で珈琲を頼む時、エチオピアの豆にしてみた。
で、さっそく、オーナーの真似をして、風を感じる気満々
だったのだが、いつものくせでミルクを入れてしまった。。
カップを口に持っていったところで気づき、
うわっなにやっとんねん、と、ひとり、のりつっこみ。。
修行が足りないな。
多分、ミルクを入れてなかったとしても
風を感じるには、人生経験が足らないかも。
珈琲道は、まだまだこれからだね。
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ちなみに、入った喫茶店は・・・
母に頼み事をしていたモノをお互いの沿線の合流地点、
下北沢までとりにいき、持ってきてもらったお礼に、
以前、一番街でたまたま入り、
とても居心地の良かった喫茶店へ母を連れて行った。
昭和初期のマッチのラベルがずらりと目の前に
並んでいる座席はとても楽しい。
以前はそこに案内されたが、昨日はカウンター。
そのマッチから面白い話が広がった。
母の母、つまり祖母は、和裁で生計を立てていた。
(祖父は戦火で亡くなったので。)
祖母は、注文を受けた着物を縫ったり、和裁の教室で
大忙しだった上に、夜になると、マッチ箱のラベル貼り
の内職を寝る間をおしんで働いていたそうだ。
長女の母が、その姿をみて、あまりにつらそうだったので、
何か自分にできることが無いか、製造元にラベルを
貼り終えたマッチ箱を持って行った時に、
その気持ちを伝えたところ、
絵が得意なら、ラベルを描いてみるかい?
と、言ってくれたのだとか。
母がラベルを1枚描く報酬は、祖母が1ヶ月ラベルを
貼り続ける報酬と同額、いや、それ以上だったそうで、
自分が図案(当時はデザインとは言わない)を描くことで、
祖母がラベル貼りをしなくてすむようになったんだって。
芸は身を助けるとはまさにこのこと。
しかも、絵が大好きな母は、全然苦じゃなく、
日本画をやっていたので、面相筆をなめなめ、
細かい図案を描いたそうだ。
カフェに並ぶ、昔々のマッチ箱の中に、
母が描いたモノがひょっとしたらあるかもしれない。
そう思うだけでなんか夢がある。
当時住んでいた、日本橋界隈の喫茶店、レストランの
マッチ箱が多かったそうなので、
コレクターの人の手元には、必ず一個くらいはありそうだ。
母は、どんなの描いたかわ〜すれちゃった〜、というので、
コレがソレとわからないのが残念だけど。
余談。祖母の縫う着物のことを「ハツヨさんが縫う着物は
着やすい。」と人形町の吉町の芸妓さんに人気だったんだ
そうだ。洋裁を取り入れて、それぞれの人の体型にあわせた
工夫を入れていたそうだ。
祖母のこと、実はあまり知らない。
でも今日、母のルーツはやはり祖母なんだと知った。
何かしら、受け継がれていくというのが面白い。
今、図案を描く=デザインをする、ということを自分の生業に
している私だけど、祖母から母に受け継がれた
<縫う>という技術を私も習得したいと思った。
ミシン買おう!
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