小網町ノスタルジー
小さい頃、おばあちゃん家が日本橋近くの小網町にあった。
木造の古い家で、せまい路地には、花好きのおばあちゃんが、ところ狭しと鉢を置いていた。下町によくある光景だが、両隣は時代とともに変化して高いビルディングに変わってしまった。その挟まれている様子は、まさに絵本の<ちいさいおうち>のような感じだった。
大きいおばあちゃんと小さいおばあちゃん(小さいおばあちゃんが私の本当の祖母で、大きいおばあちゃんは、祖母の義姉、つまり旦那さんのお姉さんと暮らしていた)がそこで小さなパン屋さんをやっていた。パン屋さんといっても焼いているわけではなくて、<山崎パン>の看板があり、パンの他に牛乳やジュース、お菓子や新聞、雑誌などが売っているタバコ屋さんのようなお店だった。
働き者の小さいおばあちゃんが早朝からせっせと作るホットドッグが名物だった。のちにパン屋さんをたたみ、小さいおばあちゃんは、私の川崎の家にやってきた。そして大好きだったあのホットドッグをよく朝に作ってくれた。
パン屋さんを営む前に、同じ場所で洋食屋さんを開いていたおばあちゃんは、ボルシチやクリームコロッケなどが、ものすごく美味しかった。その洋食屋のスペースもパン屋の横のドアを開けるとイス、カウンターなどがそのまま残っていて、かつては洋食屋として活気に満ちあふれていただろう、その暗く閉め切った空間を私はおばあちゃんちに行く度に、見たいとせがんだ。(おばあちゃん達はあまりそれを喜ばなかったけど)
お正月に遊びに行くと楽しみだったことがある。三が日の間はパン屋さんはお休みでシャッターがしまっているので、おばあちゃんは、お店のお菓子を好きなのを選んで持って帰っていいよ、と言ってくれるのである。それは、まさにこどもにとっては夢のような出来事である。しかもうちは、母が生協でしかお菓子を買ってくれなかったので、カールやコイケヤポテトチップスや明治のチョコレートなどなど、すべて憧れのお菓子だったのだ。
今はあの<ちいさいおうち>はどうなっているのだろう。。両隣のビルと同じようなビルがたっているのかなあ。
今日、久しぶりに、うわーーーっとそんな事を思い出してしみじみとしてしまった。。
おばあちゃん、死んじゃったんだよなあ。なんとなく、、いまだに、ただ離れているだけで、元気に暮らしているような錯覚をすることがある。でももういないんだよなあっと思うとなんとなくびっくりする。、、でも、おばあちゃんは時々私の様子を見に来ているらしい。おばちゃんが以前そう教えてくれた。
そう、、そのおばちゃんに今日会ったということを書こうと思ったら、おばあちゃんのことばかりになってしまった。おばちゃんのことは別の日記に書くことにしよう。
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