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2010.01.17

父さんの手帳

Tosan_no_russia_letter

今年のお正月、母が古くてボロボロな手帳を出してきました。
それは父の手帳。中にはロシア語がいっぱい書かれていました。
60年も前の手帳です。

そこにはさまれた一枚の紙がありました。

+ + +

父は九州出身で、父の父(私の祖父)と父の叔父家族は満州へ移り住み事業をしていました。
その満州で生まれた父。父の一家は、終戦当時は平壌へと移り住んでいました。
日本が戦争に負けて、日本人が多く集まるその村にもロシア兵がやってきて、住んでいた家は明け渡せと言われて、日本人は一カ所に集められたのだそうです。
当時中学生くらいだった父は、ロシア兵の食堂で働くことになったのだそうです。

父は私が小さい頃はその話しはほとんどしなかったのですが、年老いてきてからはくり返しくり返しその当時の話しをしていました。

根っからのんきな人、と私は父をある意味尊敬しています。なぜなら、父はそんな大変な体験もとても楽しそうに話すからです。

父はのんきで、ロシア兵の言っていることを理解するために、ロシア語をいっぱい独学で勉強したのです。もちろん学校ではなくて、手帳を1冊ポケットにいれて、朝から晩まで働くその食堂で、ロシア兵の言葉を聞き取り、意味を書いていったのです。

ロシア兵は、国に残してきた自分の息子を思い出してか、同じ年頃の父のことをとてもかわいがってくれたのだそうです。コーリャ→コーリカ、とあだ名?をつけて、かわいがってくれて、食堂で残りものも持って行けと袋につめてくれるので、父はいつもサンタさんのように美味しいものを家やいっしょにすむ日本人の仲間達に持って帰ることができたのだそうです。

食堂では、窯の火の番をするところに中年の日本人のおじさんもいたそうですが、ロシア語が話せないために、ロシア兵は父のことを重宝して、また、お酒の場にもまぜてくれたりしたそうです。


+ + +


そんな父のロシア語がいっぱい書いてある手帳をすべて訳してみたいのですが、まずは、手帳にはさまっていた手紙らしきこの紙を、私の旦那さまのお友達で、ロシア語の通訳をされている方に訳していただきました。その内容を記録としてココに残したいと思います。


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<お友達からのお返事の一部>


この手紙は、ロシア民謡カチューシャの歌詞ですね。
一部、下記に引用する一般的なバージョンと違う単語が入ってます。
「鮮やかな太陽」の部分が、「遠くの太陽」であったり、
「カチューシャは歩み行く」の部分が一部、「カシューシャは去った」になってい
たりと、ペーソスに溢れています。
すごいすね。

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カチューシャ

咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩み行く
霧のかかる険しく高い河岸に

Выходила, песню заводила
Про степного, сизого орла,
Про того, которого любила,
Про того, чьи письма берегла.

カチューシャは歌い始めた
誇り高き薄墨色の鷲の歌を
彼女が深く愛する青年の歌
大事に持ってる彼からの手紙

Ой, ты песня, песенка девичья,
Ты лети за ясным солнцем вслед,
И бойцу на дальнем пограничье
От Катюши передай привет.

おお 歌よ 乙女の歌よ
太陽をかすめ 鳥の如く飛んでゆけ
遠い国境の若き兵士の元へ
カチューシャの想いを届けるのだ

Пусть он вспомнит девушку простую,
Пусть услышит, как она поёт,
Пусть он землю бережёт родную,
А любовь Катюша сбережёт.

彼は思い起こすか 純真な乙女を
彼は聞くだろうか カチューシャの澄んだ歌声を
彼は愛すべき祖国の地を守り抜き
カチューシャは愛を強く守り抜く

Расцветали яблони и груши,
Поплыли туманы над рекой;
Выходила на берег Катюша,
На высокий берег, на крутой

咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩み行く
霧のかかる険しく高い河岸に

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母も大変喜んでおりました。感謝感謝でございます。
きっと、、想像するに、ロシア兵が父に唄を教えてくれたのですね。

陽気でのんきな父。
きっとカタコトのロシア語で大声でニコニコと唄って
国を離れたロシア兵の心を和ましたことでしょう。

いまだに、父はロシアの唄がうたえます。
孫にも「すげー」と唯一(?!)驚いてもらえる特技になっています。

ロシア語を覚えたのも生き延びるため、だったのかもしれませんが、こうやって戦争の思い出が今もなお楽しい思い出として残っている父は幸せものですね。


のんきな父ちゃん。
いつまでも元気にニコニコとロシア語の唄きかせてね。


*何年か前の父ちゃんのこと書いたblogを発掘:)

*追記:
父がコーリャとよばれていたと、その訳してくださった方に伝えたら、ロシアの人は、ニコライという名前の人を親しみをこめて、コーリャと呼ぶと教えてくれました。なので、お父さんは、コウジ、や、コウスケ、という名前なのでは?と。でも、父の名前はコがつく名前ではないので、きっとそのロシア兵の息子さんがニコライだったんじゃないかなーと思います。

その後、過去に父から聞いたばかりに綴っておいた日記をみつけたら、コーリャ、ではなく、コーリカと呼ばれていたと書いてありました。

コーリャ、じゃなくて、コーリカ、でしたーーと、またその方に聞いてみたら、日本でいう、「○○ちゃん」とか「○○たん」とか、より、親しみをこめた呼び方なんだそう。

終戦後の大変な中で、父はほんとにかわがってもらっていたんだなあ、よかったねえ、、と時代をさかのぼって、中学生の父に言いたくなるような、、、うれしい気持ちになりました。

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コメント

お噂のロシア語お父様。

投稿: naho | 2010.01.19 09:12

nahoちゃん
あはは。そうそう噂の父です:)

投稿: yo! | 2010.01.20 11:11

なんだか涙ぐんでしまいました。
お父様は本当に波乱万丈な人生ですね。

思わぬ素敵な歌詞に
じーんとしてしまった。

最近、色々な人の人生の深さに
驚く日々がよくあります。

投稿: さちよ | 2010.01.28 21:58

さちよさん
人に歴史有り、ですよね。
ひとりひとり、ほんと深いですよね。

投稿: yo! | 2010.01.30 12:32

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